A HAPPY NEW YEAR2009/01/08 21:11:20

浄められた朝(上高地 ’08.1月)

 長らく御無沙汰をした。夏休みの多忙さが終はると、例のバカバカしい政権投出し。続く世界的な金融不安。アメリカ大統領選の行方には多いに興味があつたが、予想以上のオバマの大勝利にアメリカン・デモクラシーの一端を見た。
 
 他方この国の姿を見てゐると、言葉が出ない。昨年、最も印象に残つた言葉は赤塚不二男の葬儀で読まれたタモリの弔辞であつた。思へば、ソフトバンク社の例のCMは赤塚ワールドそのものである。そして、この国の政治・経済・社会の疲弊と自堕落ぶりは、ギャグを通り越してしまつた。社会全体が包容力と、連帯を喪失し、分解過程にあるのではないか、とさへ危惧されるほどである。

 筆者は、さうした世間の喧噪と「バカ」と距離を置くべくひたすら「音楽」の世界に没入してゐたやうに思ふ。丁度、高名な批評家が、戦時期に古典の世界に浸つたやうに、といふと虎の威を借りることになるが、ともかく、音楽と本があれば筆者は満足なのだ。

 といふ次第で、御無沙汰をしたのだが、そろそろ「書く」といふ行為へ向けた胎動が聞え始めてゐる。行方知らずではあるが、昨年、どうしても纏まらなかつた明治140年の総括あたりから始めようと目論んでゐる所である。

イヤな時代2008/06/09 21:31:31

From 20080608PHY00164ANYMNGWEB_20080608163926594_00105

 昨日の秋葉原の惨劇は一体何であらうか?かうした「無差別殺人」は、少なくともこの国においては最近のものである。昔、「津山三十人殺人」といふ事件が昭和初期(1938年)にあつたが、これには、それなりの「目的合理性」が成り立つ。また、実行犯も自決してゐる。

 昨日の事件のやうな「自己目的化」された無差別殺人となると、アメリカでは珍しくないが、日本では、過去10年ほどの間のことである。池袋通り魔殺人事件(1999年9月8日)、下関通り魔殺人事件(1999年9月29日)、大阪池田小学校事件(2001年6月8日)である。

 これらの実行犯に共通するのは、昔なら「分別がある」とされる年齢に達してゐながら、自裁をするのではなく、大勢の見ず知らずの人々を白昼市街地のど真ん中で殺傷する点である。かうなると「自爆テロ」のやうなものであり、通常の世間常識では防ぎやうがない。

 犯罪もまた社会を映し出す「鏡」であらう。自暴自棄となり、所謂「希望」を喪失して、裁判で「死刑」となるための犯罪……。逆説的に「死刑制度」に犯罪の「抑止力」は必ずしも無いことを「立証」する事件である。

 「死を恐れる」のはオトナのヒトだけである。乳幼児にはまだない、とされる。これらの事件の実行犯のやうに、本当に「死を恐れない」となると、ヒトとしてのsomethingが欠けてゐる事になる。いふまでもなく、ヒトは、多様な社会環境の中で成長していくのであり、彼らの生育歴は「犯罪心理学」上徹底的に精査する必要があらう。

 過去10年といふ数字は、恐らく全く「無関係」ではない。折から、けふの夕刻、近所の私鉄の駅で「人身事故」があつた。一昨日は、都内だけで3件の人身事故があつた。「社会」が衰頽してゐる証左である。「正常と異常」の区別は、実は難しい。ヒトは「脳内現実」に即して生きるしかないからである。「仮想」も「現実」も「脳」内の出来事であり、その点では全く「等価」なのだ。

 今は、ただ、犠牲者の方々のご冥福を祈念するのみである。
                                             合掌

至福の時間2008/06/03 19:42:32

ABQのメンバー

 昨夜は至福の時を味はつた。1970年に発足以来38年に渡り世界最高の弦楽四重奏団として活躍してきたアルバン・ベルク・クァルテットの解散ツアー日本公演の最終日であつた。サントリー・ホールはほぼ満席。

 演奏されたのは、
ハイドン:弦楽四重奏曲 第81番ト長調 Hob.Ⅲ:81
Haydn:String Quartet No.81 in G major Hob.Ⅲ:81
ベルク:弦楽四重奏曲 op.3
Berg:String Quartet op.3
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第15番イ短調 op.132
Beethoven:String Quartet No.15 in A minor op.132
である。

 アンコール(所謂「大フーガ」の中の天国的な緩徐楽章)の後は聴衆は総立ち。嵐のやうな拍手が鳴り止まなかつた。リーダー(1st Vn)ギュンター・ピヒラーは当年68歳である。数年前、長らくヴィオラ奏者を務めたトマス・カクシュカが病没し、その愛弟子を加へての演奏であつた。

 演奏内容については今更いふことはない。最高!であつた。確かにピヒラーの音色は極上の甘美さは保ちながらも往年の艶は消え失せてゐたし、ヴィオラが少々弱いのは否めない。しかし、その驚異的なアンサンブルは変はらない。ハイドン晩年の作品は、後半メヌエットから突如として歌いだし、ベルクは圧巻!ベートーベン15番は3楽章から俄然盛り上がつた。

 今後はピヒラーは指揮者になるとか。他の団員はまだまだ若い。昨夜の演奏でも、チェロ(ヴァレンテン・エルベン 1945~)が圧倒的に上手かつた。

 ABQのレコードやCDは殆ど持つてゐるけれども、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンから新ウィーン楽派を経て現代曲まで手懸けるレパートリーの広さと、ウィーンを感じさせる「歌」を兼ね備へたこのクァルテットのやうな集団は、恐らく空前絶後であらう。

 良い時代に生まれたと熟(つくづく)思ふのである。

『遠い崖』の余白に (二)2008/05/18 20:32:06

アーネスト・サトウ 『神道論』(東洋文庫)
 
 文久二年(1862)弱冠19歳で英国駐日公使館領事部門に通訳生として来日したサトウは、その類稀な語学力と、際限のない知的好奇心と勤勉さにより、シーヴォルトの息子を追ひ抜き、着々と公使館内で必要不可欠な人物と誰からも保証されるに至るが、彼は、一外交官に留まらず、「研究者」でもあつた。所謂ジャパノロジストの先駆である。今日著名な「日本学者」といへば、チェンバレンでり、モースであり、或いは北アルプス登頂で名高いウェストンであるが、彼らは、お雇ひ学者であつたり、宣教師である。ウェストンなどは、布教活動には余り熱心でなかったといふ記録があり、本国での評判は芳しくない。

 対して、サトウは外交官としての仕事をこなし(これはとりわけハリー・パークスの下では激務であつた)ながら、古事記、日本書紀、続日本紀を研究し、国学の流れを見事に紹介してさへゐるのだ。自然科学とは異なり、古文を十二分に読みこなせなければ不可能な仕事である。

 この東洋文庫に収められた「古神道の復活」は、荷田春満、契沖、賀茂真淵、宣長、平田篤胤に至る「国学」の系譜を、延喜式その他中世の古文書まで遡り、忠実に紹介した物である。発表されたのは1874年(明治7年)である。途中、賜暇(有給休暇 leave)で数年間英国に戻つてをり、その間は「生涯の伴侶」であつた音楽会廻りに明け暮れてゐた観があるから、実質10年で書き上げた労作である。そのスタイルはdryと評されることが多いが、むしろ、そのデタッチメントこそサトウの本領である。

 以前、小林秀雄の『本居宣長』を題材に教室で「勉強会」を開いたことがあるので、平田神学を除き、その概略は知つてゐるつもりであつたが、『古事記伝』を読む困難を知るが故にこそ、サトウの学識と研究能力の高さには脱帽せざるを得ないのである。

アナログ・レコード礼讃2008/05/11 16:46:14

Linn Sondek LP-12 with Ortofon SPU-Meister

 筆者はオーディオ好きである。「マニア」といふ言葉はあまり好きではないが、「ヲタク」と呼ばれることも屡々である。最近、年少の友人(プロのクラシック音楽指揮者)に刺激され、アナログ・レコード漁りを始めた。

 都内某所のその店は古くから知つてゐる。先日久々に訪れたところ、宝物を発見!
① グールド 平均律 第一巻
② ピノックとギルバートが奏でるバッハの二台のチェンバロのための協奏曲
③ 1963年録音(翌年発売)のカール・リヒター指揮 音楽の捧げ物

以上3点で計2,200円!特に、③は64年にフランスで Grand Prix du Disque を受賞した名作である。当事の価格で2,200円が、何と700円である。たとへ5,000円でも欲しい作品であるのに……。

 昨今のCDの音質は確かに向上した。最新の従来のポリカーボネイトに代り、液晶画面の素材を使用したCDはアナログに負けないほどの実体感(reality)を感じさせはする。けれども、従来のCDとその音源となつてゐるアナログ・レコードを同時に聴き比べれば、CDは隔靴掻痒の感を禁じ得ない。ダイレクトな感触は、アナログ・レコードに軍配が上がる。

 以前にも誌した気がするが、CDの出現は、「趣味」としてのオーディオを破壊した。安価で安易な機器でソコソコの音が聞こえる。まさに「安易と安楽の全体主義」(藤田省三)以外の何ものでもなからう。今や、アナログ関係の機器は。高騰の一途である。需給関係を考へれば当然であるが、上掲の名盤の「市場価値」が700円であることから分かるやうに、「趣味」は資本主義とは異なる。

 「アナログ派万歳!結集せよ!」と、叫びたくなるのである。

『遠い崖』の余白に2008/05/04 19:55:41

『図説 アーネスト・サトウ』横浜開港資料館編 有隣堂刊

 『遠い崖』を読み終へ、『萩原延壽集』も間もなく完結する。前者は幾度も紹介してきた通り、壮大な歴史評論であるが、残念なことに、図版・写真の類が少ない。サトウの妻武田 兼(かね)の写真すらない。ワーグマンが描いた諷刺絵もない。渡辺京二の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)と対照的ですらある。

 そこで、横浜開港資料館が編集した『図説 アーネスト・サトウ』(有隣堂)を入手した。『遠い崖』の単行本最終巻の発行と丁度同月に発行されたものである。奇しくも、著者はその月に病没してしまつたのだが……。

 この図説を見ると、『遠い崖』の一つ一つの叙述に迫真のリアリティが生ずる。書簡、サトウが武田家に残した蔵書、数々の人物や当事の風景の写真。カラーで収録された現存する資料類を見てゐると、改めてサトウの勤勉刻苦ぶりが分かる。

 ともかく、お勧めの一冊である。

『遠い崖』 遂に完結!2008/04/15 17:11:18

萩原延壽 『遠い崖』 第14巻(朝日文庫 2008)

 萩原延壽(1923~2001)の畢竟の大作、『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』(朝日文庫版)が遂に完結!新聞連載時から単行本出版まで実に20年を要した文字通りのライフ・ワークである。

 恐らく闘病生活のなかで執筆された最終巻は、多少筆の進みにせわしいところもあるが(単行本最終巻の出版を見届けた後著者は病没した)、読む者を圧倒してやまない博引旁証、博覧強記ぶりもさることながら、最後まで平明で清朗な文体(かきざま)で綴られたこの大著は永遠に読み継がれるであらう。筆者自身、この十日ほどその「余韻」に浸つてゐたといつて過言ではない。

 アーネスト・サトウといふ稀代の努力家にして怜悧な才能をもつた「勉強家」を縦糸に、サトウの生涯の盟友となるアイルランド出身の好人物である外科医ウィリアム・ウィリス、「仕事の鬼」であつたハリー・パークス駐日公使、そして、若き西郷隆盛、勝安房といつた多くの日本人を含めた多様な人物像を横糸にして織られたこの大長編評論は、単なる「評伝」を越え、幕末から明治初期に渡る日英関係史であり、当事の日本風俗の記録であり、読者を倦むさせることなく、大河のごとく悠揚と流れる。

 所謂インデペンデント・スカラーとして、孤高の道を歩んだ著者自身の生活は時に艱難辛苦に満ちてゐたことは想像に難くない。『萩原延壽集』(朝日新聞社)もまもなく完結する。それらを読む者は、萩原が、紛れもなく戦後日本が生んだ最高の知識人の一人であつたことを確認するであらう。

One of the best days in my life!2008/03/11 19:16:44

埼玉県長瀞町宝登山の臘梅(拙作)

 けふ、2008年3月11日は「我が生涯最高の一日」として記憶されるに相違ない。ある受験生が大学に合格したのだ!

 無論、それだけなら毎年のことである。しかし、彼の場合、訳あつて、「高校卒業資格認定試験」からの出発。さらに事情が加はり、半年ほど勉強を中断しての合格である。

 これほどの喜びは絶えて久しい。これで、今年度入試は、小学生・中学生・大学受験の全員が進学先決定である。

 「確定申告」に追はれる中、清涼剤という以上に一種の「脱力感」に襲はれてゐる。この教室でなければ、為し得ない快挙と自画自讃する次第である。

西郷隆盛再考(『遠い崖』いよいよ佳境)2008/02/14 16:03:27

萩原延壽 『遠い崖』 第10巻(朝日文庫 2008)

 故・萩原延壽のライフワーク『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』(朝日文庫版)は第10巻まで刊行され、いよいよ佳境に突入した。同巻は「大分裂」と題され、所謂「明治六年の政変」を扱ふ。遣韓使節問題を巡り廟堂(内閣)が分裂。結果的に西郷、板垣、江藤(新平)、副島(種臣)、後藤(象二郎)といふ5人の参議が下野し、大久保と岩倉が政治的「勝利」を収めた一連の政変劇である。

 筆者は以前、毛利俊彦の著作を通して、征韓派と反征韓派といふ従来の「通説」に対する異議申し立てに共感した覚えがある(毛利俊彦 『明治六年政変』『江藤新平』 中公新書)。征韓派VS反征韓派といふ構図は、岩倉が駐日公使ハリー・パークスに直接語つたことであるが、爾来、4年後の西南戦争の発端ともいへるこの政変劇は、西郷と副島が朝鮮半島への武力進出を求め、他方、予定を大幅に超過して帰国したばかりの岩倉使節団一行の中心をなす岩倉と大久保(利通)が、それを阻んだとされてきた。

 毛利俊彦の研究は、この前提を覆し、西郷は「征韓派」ではなかつた、といふ主張を主旋律とし、副旋律として、留守政府内部で擡頭してきた反薩長派・江藤を追ひ落とすべく大久保が仕掛けた「権力闘争」といふ側面を無視し得ない、とするものである。

 萩原は、全体において毛利の研究を高く評価してゐるが、西郷に対する「評価」は一部保留し、むしろ西郷の内面にまで立ち入り一つの「仮説」を提示してゐる。

 維新後の西郷が別人のやうになつた、とは屡々誌されるところである。自殺未遂(僧月照との入水事件)や斉彬の後を継いだ久光との確執に因り数度にわたる遠島処分等、文字通り艱難辛苦を経験した青年期の西郷が、王政復古のクーデター、勝安房との「腹芸会談」など、戊辰戦争期までの華々しい活躍と、周到な気遣ひを見せた「革命家」としての面影は、維新成就後急速に色あせる。第二のクーデターとも呼ばれる「廃藩置県」にアッサリ同意しますます旧藩主との確執対立が表面化する中で、鹿児島で隠棲生活を送る西郷を再度江戸に呼び戻したのは岩倉と勝である。しかし、維新後の西郷には以前の精彩は見られない。自ら「不精者」と称し、「国に早く帰りたい」とだけ繰り返す「無口な西郷」の姿をサトウは書き留めてゐるが、欧化政策と「商法(註:商売の謂)の支配する処」となつた明治国家への絶望感、或いは途方もない喪失感を抱いてゐたことはまづ間違ひがないのである。

 萩原は、西郷のやうな文字通り並外れたスケールを持つ人物の「真意」など解るわけはない、としつつも、朝鮮国訪問だけでなく自らの「死」を熱望してゐたのではないか、とする。実際、三条(太政大臣)や板垣宛の書簡類には「死」といふ言葉が数多く表れる。そして、盟友大久保の反論に屈した後は、急速に朝鮮訪問の意欲も衰へ、孤立感に苛まれる日々を過ごさざるを得なかつたのではないか、といふ。夢想家西郷と実務家大久保といふ維新期には補完関係を持つた二人の決定的な気質の相違が、ここへ来て、大久保の執念が勝利を収めたといふ訳である。このやうな西郷像は、実は司馬遼太郎が描くそれと似てゐる。司馬は、維新後の西郷は「緩慢的自殺」、あるいは、自分の「死に場所」を求めて精神的彷徨を続けてゐたと述べてゐる(『翔ぶが如く』)。

 萩原は、「大分裂」の章を閉じるに当たり、『南洲翁遺訓』中の次の言葉を引用する。

 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。」

 革命といふ「非日常」と制度化が進行する「日常性」。西郷隆盛が長きにわたり、或いは今も尚、人々に愛される所以であらうか?

画期的な昭和天皇論2008/02/03 17:34:28

原 武史 『昭和天皇』(岩波新書 2008)

 原 武史(1962~)の新著『昭和天皇』(岩波新書)は、斬新な切り口で昭和天皇を論じてゐる。従来の、「政治的存在」としての昭和天皇に関しては文字通り汗牛充棟の先行研究があるが、祭祀の実行者としての、つまり、著者のいふ「お濠の内側」の姿に関しては、数々の侍従や内大臣等の日記からしか窺ふことが出来なかつた。本書もその点に関しては例外ではない。が、大胆な「仮説」を提示したものである。

 従来から、昭和天皇と生母(貞明皇后 1884年・明治17年~1951年・昭和26年)との確執については書き継がれてきた。本書はさらに一歩踏み込み、皇后(裕仁天皇即位後は「皇太后」と呼ぶべきであらうが)が、大正天皇の夭逝は、父明治帝とは異なり、宮中祭祀を軽んじ、粗略な扱ひをしたための一種の「神罰」であつたと捉へ、新嘗祭・神嘗祭に始まる数多くの祭儀に励むやうにヒステリックなまでに皇太子・摂政時代から裕仁天皇の時代に至るまで「奨励」したといふのである。いふまでもなく、これらの宮中祭祀の多くは明治以降に「創られた伝統」に過ぎない。

 ところが、大正天皇の脳病が悪化する大正末期以来、東京帝国大学法学部教授・筧 克彦(かけい かつひこ 1872~1961)が唱へた「神(かむ)ながらの道」に染まり、やがて殆ど「神がかり」の状態に至つたといふのである。即ち、祭儀とは、お告文や拝礼を「形式的」に執り行ふのではなく、心からの皇祖皇宗の実在を信じてゐなければならない、と。

 英国留学経験を持ち、立憲君主制を尊び、天皇機関説にさへ賛同した昭和天皇であるが、さうした「政治的主体」としての天皇と、宮中祭祀の実行者といふ立場がはらむ「矛盾」に昭和天皇は終世懊悩しつつも、戦中戦後を通じて、この「教へ」には忠実に遵つた、といふのが本書の骨子である。

 そして、所謂「戦争責任」に関しては、祖宗に対しては、「謝罪」をしたが、遂に「国民」に対しては何らの意思表明も行はれないままであつた。それどころか、皇太后は「何人死なうが、三種の神器を守るために祈る」と公言し、裕仁天皇自身、戦局が極度に悪化する1945年の春までは、「国民」よりは「国体護持」に傾いてゐたが、弟・高松宮から激しい糾弾を受け、遂に所謂「和平グループ」の意向に近い立場に「転向」したといふのだ。

 本書の面白さは、近代天皇制(明治以降に創られた)内部、ヨリ正確には宮中三殿と呼ばれる「神殿」「賢所」「皇霊殿」といふ「闇」に迫りつつ、天皇制の呪術性を描いてゐる点である。しかも、このやうな発想の源は、松本清張の未完の大作(遺作)『神々の乱心』(文春文庫)であつたといふ。現代思想(青土社)2005年3月号の掲載の論文「『神々の乱心』の謎を解く」も併せて推しておく。